お釈迦様は29歳で出家され、6年とも7年ともいわれる間苦行を積まれた後、菩提樹の根元で7日間不眠不休の坐禅の行をされ、8日の暁の明星をご覧になって悟りを開かれたとされる。
2011年元旦、南台より錦江湾を望む。 |
これになぞらえ、禅の修行道場では12月1日から7日まで「臘八大攝心(ろうはつおおぜっしん)」といわれる厳しい集中修行をおこない、8日にお釈迦様が悟りを開かれたことを祝い、成道会の法要を執り行う。
修行道場にいたころは、「よりによってなんで12月8日に悟ったんや?もう少し日本の気候で、暖かい頃にしてくれたらよかったのに!」とつまらん愚痴を言ったものです。
さて、お釈迦様の成道の日の云われは・・・・
南方仏教の伝えによると『ヴィシャーカ月の満月の日』と記されている。これは太陽暦に直すと五月の満月の日に当たる。だから南方仏教諸国では五月にこの日を盛大に祝うのである。ところで、ヴィシャーカ月はインドの暦によると第二の月にあたるので、漢訳諸仏典では『二月八日』と記していることが多い。シナの暦法はしばしば変わったが、周の暦法によると、陰暦の陰暦の十一月を第一の月として数えるので、第二月の八日はつまり陰暦十二月八日となる。それを受けて日本では釈尊の成道を十二月八日に祝うことになったのである。(中村元著『釈尊伝 ゴータマ・ブッダ』)とある。
悟りの内容(何を悟られたのか?)
同じく中村元著『釈尊伝 ゴータマ・ブッダ』には、十二因縁の理を観じ悟ったと引かれるのは歴史的事実ではないとし、経典に見られるお釈迦さまが或るバラモンに語った言葉を引き検討し、四禅を悟ったとしている。
以下四禅
〈初禅〉
実につとめはげみ、確乎たる努力をした。念いは確立していて失われることなく、身体は軽やかで激することなく、心は統一されていた。われは欲望を離れ、不善のことがらを離れ、粗なる思慮あり、微細な思慮があったが、遠離から生じた喜楽を成就した
〈第二禅〉
粗なる思慮と微細な思慮との止滅の故に内心が静安となり、心が統一し、粗なる思慮なく微細な思慮なく、定から生じた喜楽を成就した
〈第三禅〉
喜に染まないが故に、平静であり、念い、正しく気づかい、身体で安楽を感受していた。すなわち聖者が「平静であり、念あり、安楽に住まっている。」と説くところに成就した
〈第四禅〉
楽を捨て苦を捨てるが故に、先に喜びと憂いとを滅したので不苦不楽であり、平静と念とによって清められている第四禅を成就
その後云々と詳しく説明・・・
結論として以下引用
この経典の文句は非常に長たらしいが、そのいうところは、けっきょく四禅すなわち四種の禅定を完成して、衆生の運命を見きわめたというところに帰するわけである。とくに肉眼を以て神の本性を見ることはできないから「天眼(divyam caksus)を以て見よ。」という教えは、インド教の国民的聖典バガヴァッド・ギーターに説かれているが、佛教もこれと同じような思想をとり入れているのである。
としているが、後の仏教の発達に伴ってこのような説明が加えれたとしている。
ところで、12月8日の成道会には釈迦出山図を掛け法要を営むが、長い苦行を捨て山を下り悟りを得る7日間の禅行に入るきっかけとなったからであります。
安住寺所蔵 村上天心画 「出山図」
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http://renge.saloon.jp/gallery.html