先の原発の運転期限を40年と法改正したが、政府は最長60年までの例外規定を盛り込むことを明らかにした。また原発の再稼動を前提にした「ストレステスト」で、現在停止中の関西電力、大飯原子力発電所3・4号機の関西電力側から出された一次評価を原子力安全・保安院は「妥当である」と原子力安全委員会に報告した。委員内からも「拙速である」という強い意見があるにもかかわらず審議を打ち切り、再稼動へ突き進んでいるように思えてならない。
また国や原発企業は、福島の原発事故を受け世界最高水準の安全性に高め輸出を推進していくという。福島第一原子力発電所事故は未だ解決されず、炉内の様子もわからない。まして廃炉までの工程も不透明。30年40年も先になる課題を残し、輸出を続ける国や企業の利益追求姿勢は問われてしかるべきだろう。
原発を廃炉にするにも莫大なコストがかかり、原発関連企業では廃炉利権で喰えるとも言われているらしいが・・・
時遅しの声もあるが、次世代に向け、全日本仏教会も「脱原発」を宣言し一僧侶として少なからず前進したように感じている。
全日本仏教会「脱原発宣言」全文
http://www.jbf.ne.jp/2011/12/post_214.html
さて1月30日の中日新聞に「原発に頼らぬ生き方を」として、大分県出身で全日本仏教会会長で臨済宗妙心寺派管長の河野太通老師の記事がありました。ここに記事全文を転載させて頂きます。
「脱原発」に向け何か出来ないか参考になればと思います。何事も願いを抱いておかねば叶うことはないはずであります。
『原発に頼らぬ生き方を』
原子力発電によらない生き方を求めてー。昨年12月1日、104の伝統仏教団体の総意として出された事実上の「脱原発」宣言が注目を集めた。この日、都内で開かれた全日本仏教会(全日仏)の理事会。採択を前に、会長で臨済宗妙心寺派管長の河野太通さん(82)が寄せた映像メッセージが会場に流れた。
「私たちは、もっと豊かに、便利にと欲望を拡大してきました。その陰で、原発所在地の人々が事故で命の不安に脅かされています。全日仏は原発への依存をなくし、持続可能なエネルギーによる社会の実現を目指します。誰かの犠牲の上に成り立つ豊かさは誠の豊かさではありません」
全日仏が原発問題に自らの姿勢を示すのは初めて。「仏教会の人たちはよく言えば円満なんだ。誰かが嫌がるようなことはあんまり言ってこなかった。今度も社会の後ろで『そうか、そうか』って言ってるだけじゃ、私たちが世におる必要性がなくなってしまう」。妙心寺派本山・妙心寺(京都市)で、日本を代表する禅僧は宣言の背景を語った。湯水のごとく使われる電気を東京一円に送った福島第一原発。事故後は地元住民から故郷を奪い、子供の将来に不安を残した。すべてに平等の命を見いだす仏教にも非常事態だったということか。
東日本大震災は同寺で法要中に起こった。すぐに宗派、全日仏の陣頭に立って支援に乗り出し、被災三県で祈りをささげて回った。訪れた仮埋葬所では、大半の遺体に番号が振られていた。「3・11まで名前で呼び合っていたのにね。津波被害は本当に悲惨だった」。大学時代に影響を受けた先輩僧侶も、津波にのまれ亡くなっていた。
またも思い知らされた自然の力。ただ、原発事故は「産業革命以来の、より多く、より早く願望を手元に引き寄せることが幸福につながるという価値観が引き起こした」と、河野さんは考える。今月(1月)26日名古屋市中区の政秀寺であった法話行事「无名会」。参加者を前に「欲望にのまれがちな自己を反省し磨き直すことがおろそかにされる時代になった」と説いた。会長を務める社団法人の機関紙には「現代仏教の真実と仏教徒のあり方が問われている」と書いた。答えの一つが「命を大切にする仏教の教えに照らして社会がおかしいのではというときには勇気を出してものを言う」。青年時代にさかのぼる信念でもある。
生まれは満州事変前年。どっぷり染まった軍国主義は敗戦後、完全否定された。どんな社会になってもぶれない人生をと、新制高校三年のときに禅寺へ入った。「ところが、寺に来た在家の人が、和尚さんを隊長って呼ぶ。坊さんも鉄砲かついで戦争していたわけだ。金を集め軍に戦闘機を贈ってもいた。これが本当の仏教なら、私は去らなきゃいけないと思った」。自らの存在をかけ、11年前に結実するまで、ざんげ表明すべしと教団内で説いて回った。「当時の仏教会も本心では戦争はいいと思ってなかった。でも、軍や社会の勢いに流され、よう反対せんかった。一人でも多く発言していれば戦争を止めれたんじゃないか。同じ思いが原発にもある」という。
放射能汚染の悲劇を繰り返さないよう、一人一人が足るを知り、自分の幸福だけを求めない善なる人間、人格をつくるべきだと強調する。「指導者も利潤がゆえに、原子力の危険性を知りながら黙認してきた。利便性、経済性はもう十分。追求すべきでないとことは敢然と指摘する、侍のような人を生む社会へ一歩踏み出さなくてはと思います。私も含め、人類みんなが今、そういう立場に立たされているんじゃないでしょうか」
{取材ノート}
阪神大震災では住職をした寺で被災した河野さん。当時は腹ら立たしかった「頑張れ」のメッセージを3・11後、あえてインターネットで発信した。元気に立ち直る姿勢が犠牲者への一番の供養と感じたからだ。原発問題への発言も、その思いと重なるのか。仏教で「忍ぶ」は理想の生き方の一つ。弁当を食べるのを昼休みまで待つように、少しの我慢を節電でも実践しようと説く。自身は「原発反対」と念じながら消灯に取り組んでいるという。(谷村卓哉)
2012年1月30日 中日新聞文化面「はじめの一歩 私はここから」より
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